旅のはじまりのビールを造るホテルが未来の旅を作っていく、ホテルプロデューサー龍崎翔子さん × HOTEL NUPKA 創業者・柏尾哲哉さんによる対談
この記事で紹介するのは、「旅のはじまりのビール」という飲料。『クラフトビールを片手に、これからはじまる旅の話をしよう。』をテーマに、北海道十勝地方のホテルHOTEL NUPKAが訪れるゲストのために造ったビールです。
HOTEL NUPKA創業者の柏尾哲哉さんと、CHOOSEBASE SHIBUYAの立ち上げにも関わったホテルプロデューサーの龍崎翔子が、ビールやホテルの話題を皮切りに今後の可能性についてお話をしました。
HOTEL NUPKAができるまで
龍崎:私自身北海道で2カ所のホテルをやっていたので、NUPKAさんのことは前から存じあげていて、開業当初から注目させていただいておりました。でも、まだ泊まりに行けたことがなくて。どんな経緯でできたホテルなのでしょうか?
柏尾:なんと、ありがとうございます。私自身は帯広出身で、高校まで帯広で暮らしていました。大学で東京に来たのですが、大人になってから幕別出身(帯広の隣町)坂口琴美(HOTEL NUPKAの共同代表)と出会いました。
それで、東京の生活が長くなってくる中で、坂口や十勝出身の仲間同士で地元のためになることをしたいという話をよくするようになりました。十勝という地域にはまだしっかりと活かされていない魅力、原石のようなものがあるのではないかと。
そんな思いが強くあって、2013年から『my little guidebook(マイ リトル ガイドブック)』という映画作りを始めました。自分たちの地域の魅力を国内外含めてアジアの人たちに伝えようというコンセプトで始めたプロジェクトです。それで、せっかく映画を作ったのなら、映画を見て魅力を感じてくれた人たちが泊まれる場所を作りたい、そんな思いからホテルが生まれました。
龍崎:もともとは映画作りからスタートしたんですね。映画とホテルは一見遠いところにありそうですが、どんなところからホテルの着想を得たのでしょうか。
柏尾:おっしゃる通り、映画を作ることとホテルを作ることは全然違うものなので、すごく葛藤がありました。そんなときに強い心の支えになってくれたのが2010年に刊行された吹田良平さんの『グリーンネイバーフッド』という本でした。たまたま書店で見かけたこの本で、ポートランドの街並みや、ラウンジの空間、クラフトビールのことなどを見て、僕が求めていたのはこれだと確信しました。
この本に後押しされて2012年には実際にポートランドにも行きました。帯広もかつてはすごく賑やかな街だったのですが、中心市街地の空洞化という問題にさらされてだんだん衰退していってしまったんです。そんな中でホテルを作ることからまだ見ぬ新しい街を作っていくイメージが、ポートランドの様子と重なりました。
龍崎:ポートランドの街作りから着想を得ているのですね。
柏尾:はい。なので、ホテルとしてお客さんから宿泊料を貰って収益を上げることはマストではあるのですが、それが最終的な目的ではなくて、あくまでも起点だと思っています。僕らはNUPKAというホテルを起点にして、街を作っていくことにパッションを持っています。
だからこそ、眠るだけの宿では全然足りなくて、「旅のはじまりのビール」だったり、バーを作ったり、それ以降の活動につながっていきます。このホテルは泊まる場所であり、ローカルフードに触れる場所であり、地元の人と旅行者の人が共存する、人と人の縁をつなぎ合わせていくような場所であってほしいと思っています。
試行錯誤のビール造り
龍崎:ビール造りもするホテルって、かなり珍しいとは思いますが、最初は苦戦したのではないでしょうか。
柏尾:ポートランドに行ったときに強く印象に残ったことの一つがマイクロブリュワリーと呼ばれる、小さなビール醸造所がたくさんあったことでした。マイクロブリュワリーの中に併設されたバーで、スタッフとお客さんが楽しそうに話している空気感に惹かれたんです。それで、僕たちもホテルを作るときはオリジナルのビールを造ろうと、最初からアイデアを持っていました。
その後、たまたま東京で、ポートランドのクラフトビールをテーマにしたトークセッションがあって、自分たちで醸造施設を持っていなくてもレシピさえあれば、外部の醸造所に委託してビール造りができることを知りました。目から鱗でしたね。すぐにそのトークセッションに登壇されていた方に声をかけて、協力していただくことになりました。
龍崎:その行動力もすごいですね。「旅のはじまりのビール」は北海道で造られているのですか?
柏尾:小樽の醸造所で醸造しています。ビールって大麦を麦芽に変えるプロセスが必要なのですが、日本ではその設備を持っている醸造所も大麦を育てている農家もあまりなくて、麦芽を輸入してビールを作っているメーカーがほとんどです。でも、僕たちは十勝産の大麦で造りたかったので、血眼になってさがして、どうにかビールに使える大麦を育てている農家さんにたどり着きました。
いろんな人の紹介で繋がって「旅のはじまりのビール」ができて、NUPKAのオープンとともにデビューできました。「フード・アクション・ニッポン アワード」というコンテストではトップ10に選んでいただき、今では、北海道の大手コンビニチェーンのセイコーマートさんや、THE ROYAL EXPRESS(ザ ロイヤル エクスプレス)という北海道内を巡る豪華列車などでも取り扱ってもらっています。
ホテルが街へと拡張していく
龍崎:街作りの話に戻るのですが、私も『グリーンネイバーフッド』はとても好きで、ポートランドへも行ったことがあるので、同じような風景がイメージできました。NUPKAさんは日本の中でも、地方都市での「街のリビング」としてのホテル作りの先駆け的な存在だと思っています。街を訪れた人はもちろん、その街にいない人にまで街の景色や雰囲気をにじませていくような、エポックメーキングなホテルだという印象です。
柏尾:実は『グリーンネイバーフッド』を読んですごく感激したので、著者の吹田良平さんに会いに行ったことがあるんです。その吹田さんが「ホテルから街を作る」という提案をしてくださったんです。ホテルっていろんな人が入れ替わり立ち替わりしていて、まるで都市みたいじゃないですか。
しかも、ホテルで宿泊者と地元の人など、人々が互いに交流していくことで、より都市性が高まるなと思うんです。そういうホテルが持つ都市のような機能を拡張していくことで、新しい街が生まれるんじゃないかと言ってくれて、それは今でも僕の行動指針でもあります。馬車で街をめぐる「馬車BAR」や、NUPKA Hanare(ヌプカ ハナレ)という別館も、こうした発想がもとになっています。
龍崎:「馬車BAR」は、ホテルに滞在するお客さんが馬車に乗ることで、普通の車に乗るのとはまた異なるスピード感、スケール間で都市を感じることができるので、すごく面白いなと思います。それに、帯広は馬の名産地でもあるので、街の歴史が体験に落とし込まれていていますよね。
柏尾:実は、この企画は、もともとは自分たちの事業アイデアだったものではありません。もともとNUPKAを利用するゲストだった方から「NUPKAは人が集まるいい場所だと思うから、NUPKAを発着点として『馬車BAR』をやる許可をください」という持ち込み企画の提案を受け、その人にNUPKAの内部に入って一緒にやってもらうことで実現したものです。本当にやってよかったと思っています。
馬車に乗って移動するという体験自体もすごく面白いと思いますし、歩いている人と馬車に乗っている人のコミュニケーションが生まれたり、馬車が走っている街というように街の風景を変える効果もあったりと、いろんな意味で楽しい企画だと思っています。
消費から生産へ、未来への旅を想像する
龍崎:すでに様々な事業を展開されていますが、次はどんなことを計画されていますか?
柏尾:色々あるのですが、1つは歩道などの街中にある空間を生かしたサービスです。コロナへの対応で、密を避けるために道などの空間の規制が緩和されていて、たとえば道端にカフェを開いたりできるんです。その延長で、街の中に畑があったり、街の中に醸造所やワイナリーがあったり、人の生活と食の生産地への距離を短くするような活動がしたいと考えています。
十勝といえば農業が盛んですが、だんだんと効率化が進んでいく中で、農家は減り、生産者と関わる人も減っていっているんです。今まではビールを飲むという消費の部分には携わってきましたが、もう少し生産側の風景も街の中に取り込みたいなと。
龍崎:それはすごく楽しそうですね。帯広の方へはあまり行ったことがなかったので、なおさら行きたくなりました。
柏尾:ぜひ、ご案内します。今日のお話のテーマにもあった「旅」っていろんな形があって、物理的なものだけではなくて、未来に向けてどんな旅にしていくかという側面もあると思います。高度経済成長期のころは、毎日上り調子でしたが、今は「明日が良くなる」と考えるのも結構大変な時代ですよね。
でも、そんな中でも明るい未来への旅をリアリティーをもって描けるようにしていくのが大切で楽しい作業なのかなと思っています。十勝は農家が盛んだけれど、農作物の生産の周りには、農家さん以外にも小売りの業者さんやブランドのデザイナーさんなどもいます。そういった人たちが、十勝だけではなく東京などとも繋がってみんなでビジネスチャンスを生み出していければ、20年、30年と飛躍していけるのかなと、未来への旅のことも考えていきたいなと思っています。
- illustrations:
- MINA UCHIGASAKI
- text:
- NATSU SHIROTORI
- edit:
- TAKAHIRO SUMITA